朝の身支度で忙しいさなか、母が部屋にやってきて
仕事帰りに補聴器の電池を買ってきてくれないか
と頼みごとをしてきた。
地元の電気店を回ったが見つからず
最後に行ったお店でやっと買った電池は
型番が違って使えないのだという。
なんで番号を控えないで買いに行くの〜!?
てか私今超忙しいのに。ひよっこも見たいのに。
補聴器から電池を取り出し、型番を控えてカバンにしまい
そそくさと家を出た。
帰りに量販店の補聴器売り場で電池を探したら
やはり控えた型番と電池のサイズが違っており
親切な店員さんにサイズまで比べてもらって
無事に購入することができた。
帰宅していざ補聴器に電池を入れようとしたら
肝心の補聴器が見つからない!
どこをどう探しても見つからない。
若い頃からとんちんかんで天然ボケだった母だが
このところ天然ではないと思われるボケを連発している。
カバンを丸ごとどこかに置き忘れたと言い
財布に入れたクレジットカード、通帳、パスモ、携帯電話、
全部止めて手続きしたあと
ソファのクッションの下から見つかるという事件があった。
つい先週末も私の定期券を持ち出して出かけようとしたら
家から駅までの間に定期券だけをスッポリ落っことしたらしく
私からものすごいカミナリを落とされたばかりだった。
再発行手続きをした直後に落し物が届いたと駅から連絡があり
結果的にはハッピーエンドだったのだが
とにかく疲れた。本当に疲れた。
「だって、電池が違うから静内※まで買いに行こうと思ったの」。
今年の1月まで現役で働いていた母。
引き際を悟って退職したあとは
今まで貯めに貯めた荷物の整理を始めた。
もしやゴミと一緒に補聴器も捨てたのでは?とあちこち見ると
父が若い頃に書いた小説の手作りの小冊子が無造作に捨ててあった。
2冊あるので1冊捨てたらしいが
いや、そういう本じゃないじゃんこれ!
すかさず拾ってペラペラめくって見ては
幸せだった子供の頃を思い出していた。
そしてふと、あることを思いついた。
それは、困った時の仏頼み!
仏壇に線香をあげて、失くし物が見つかるようにお祈りした。
実は子供の頃からよく使ってきた手法で
これで何度も無くし物を見つけてもらったのだ。
子供の頃はおばあちゃんだったけど、今は父。
おそらく仏壇に手を合わせることで心が落ち着き
状況を冷静に振り返ることができて
無くした場所のヒントをもらえるのだと思う。
そういえば私が出かける直前、母の兄(私の叔父)の“千人針”を手に
「これ、ネットで誰か買う人いないかな?」
って話しかけてきたよね?
そんなのどこから出してきたの?
「ああ、押入れから夏物を出した時に見つけたの。」
押入れを一通り見たあと、床にキラリと光るものを見つけた。
それは1本の縫い針。なぜこんなところに針が?
「針が落ちていたよ」と母に手渡し
整理したばかりの裁縫道具入れに片付けようとしたら
「ちょっと!見て!」
そこにはどんなに探してもなかった補聴器が!!
途端に涙がボロボロ出てきた。
無くし物が見つかったことよりも
父の本を拾ったことから始まった様々な偶然に
“絶対に父が見つけてくれたのだ”という確信を持ち
畏敬の念に涙が出たのだと思う。
こんなことってあるんだなあ。
母を強くなじったことも心の片隅で反省していたのだが
「ねえ、早く先にお風呂に入ってよ!」
って、誰のせいで時間が遅くなったと思ってるんだ??
父が亡くなる直前に言われた
「ママをよろしく」っていう意味が
最近やっとわかってきたよ…。
※静内とは私たちが住んでいた北海道の日高地方で最も大きい町で、我が家では静内=池袋のことを指す。さらに大きな新宿あたりは、苫小牧。ちなみに地元の西友は“農協”と呼んでいる。
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