去る9月16日、母の姉である伯母が亡くなった。
脳梗塞や乳がんを患ったのちに認知症で介護施設に入院し
最期は眠るように亡くなった。
母と一緒に青森へ駆けつけた。
伯母の自宅は母の実家でもあり
子どもの頃夏休みごとに何度も遊びに行った。
久しぶりに訪れた温泉の町はかなり様変わりしていたが
陸奥湾に沈む夕日の美しさに心が洗われた。
翌朝、上のいとこの車でセレモニーホールへ。
伯父と下のいとこはお線香を絶やさないように
霊安室に泊まり込んでいた。
伯母はお化粧してもらい、安らかな顔をしていた。
次々と訪れる親戚の方々。
伯母方の親戚は私たちだけだが
伯父は8人兄弟で親戚が多いため覚えられない。
しかも全員津軽弁。
外国語を聞くような気持ちで頭をフル稼働させたため
私の脳はややショート気味になってしまった。
ひととおりお別れの儀式が行われたのち
伯母を霊柩車に乗せ、生まれ育った町を一周した。
母にとっても懐かしい風景だったので
おそらくいろんな想いを巡らせていたのだろう。
私は、その美しい景色にとにかく圧倒され
終始無言だった。
火葬場に着き、事務的に事は進んだ。
父や弟の時とはちょっと違うことを客観的に見ていた。
火葬が終わるまで別室で軽い昼食をいただいた。
伯母方の親族とも顔を合わせたが
外向きな気分にはなれず、あまり会話もできなかった。
火葬が終わり、骨を拾いに行った。
東京の高温高速な火葬とは違い
青森の火葬は人の形がそのまま残っており
親族が丁寧に骨を納めていった。
珍しく東京より暑い夏日の青森だったが
さらに窯の暑さが伝わってきた。
夕方の通夜まで時間があったので
一度ホテルにチェックインして再び斎場へ。
葬儀では母が親族代表として弔事を述べた。
伯母の見合いについていった時のことを
津軽弁のエッセイにしたものだ。
そのときのお相手の男性が今の伯父。
うちの母が父と出会った結核療養所は
のちに伯母が入所する介護施設となる。
様々な運命とともに生まれた私たち、いとこたち。
いろんな思いが交錯し、ただただ涙が出た。
今日、長い間何も入れていなかった写真立てに写真を入れた。
北海道の僻地で暮らしていた
私が小学校低学年、妹が幼稚園、弟が乳児だった頃の写真だ。
生きることや死ぬことや病気や老いなどみじんも考えず
ただただ今だけを楽しく生きていたときの写真。
後ろ向きと思われるかもしれないけれど
できることならこの時に戻りたい。
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