2009/12/25

グッピーの思い出

昨日も今日も仕事だったのでクリスマス・ディナーにはありつけなかったが
チキン好きな私の狙いは、スーパーで値引きされているローストチキン。
昨日も今日も3割引の立派なもも肉チキンを買っておいしくいただいた。
こんなことで満たされる自分は幸せだな〜と単純な脳みそに感心しつつ
むしゃむしゃ食べ終わった鶏の骨を見て、ふと昔のことを思い出した。

小学校低学年のころ、私は北海道の山奥に住んでいて
小さな小さな小学校に通っていた。
先生は、うちの父、お隣の先生、そして校長先生のたった3人。

校長先生のうちでは犬を飼っていた。
名前はグッピー。
今となっては種類さえ覚えていないが、西洋の中型犬だったと思う。
田舎ではとにかく珍しかった。

我が家では、骨付きのお肉を食べた翌日
グッピーに骨を持っていくのが恒例になっていた。
当時、日本は今みたいに豊かではなかったので
骨付きの肉を食べられるのは特別な日のみだったし
校長先生といえども同じだったと思う。
骨付きのお肉が食べられる特別な日、
それがクリスマスだった。

翌日、例によってグッピーに骨を持っていったら
いつもは喜んでくれる校長先生の奥さんが、なんだか様子が違う。
どうしたのかな?と思っていたら、奥さんからこんな言葉が。

「せっかく持って来てくれたのにごめんね。
 グッピー、今日死んじゃったの…」

そっか、グッピー死んじゃったのか…。
じゃあ、ホネもいらないね。
とぼとぼと家路を戻る私と妹たち。
幼い私たちには、生き物の死がピンと来なかったが
あの時校長先生の奥さんの目が真っ赤だったことは覚えている。

数日後、山の中にグッピーを埋葬するのに同行し
「グッピーここに眠る」という墓碑を一緒に建てた。
のちにお墓を探しに行ったが、どうしても見つけられなかった。

その後、わが家では骨付き肉を食べるたび
「グッピーに持っていかなくちゃ」
と冗談を言った。
決して豊かではなかったけれど
ほのぼのとしたあの田舎の生活に想いを馳せながら。

このクリスマスでどれだけのお肉が食べられて
どれだけの骨が捨てられただろう。
グッピーが何匹喜ぶ分の数なんだろうね。

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