先日読み終えた
YMO本ですが、一番強く残ったのは、「ボタンの掛け違い」。
『増殖』でスネークマンショーのコントを入れるアイデアは幸宏さんが細野さんに提案して決まったことで、教授には何の相談もなく同意もないまま話が進み、さらに「写楽祭」というイベントでも成り行きでやることになったけど、実は教授は引いていました。スネークマンショーは面白いと思ってたけど、YMOと一緒にやるのはちょっと違うと思ってたのです。
「写楽祭」ではYMO見たさに押し掛けたファンが、いつまで経ってもYMOの曲を演奏しないことで騒ぎ始め、教授が客に向かって怒鳴ったという伝説があるけど、その場のことよりも前から思っていた不満が爆発した結果だったのでした。
その後、教授が『B-2 UNIT』の録音中、幸宏さんと細野さんは加藤和彦さんのアルバム録音のためにベルリンに行くのですが、そのことも教授にとっては「1人 vs 2人」の図式ができる原因になったようです。
特に教授はこの頃、有名になったことで顔が知れてしまい、現実的な“パブリック・プレッシャー”に悩まれて精神的にきつい状態になっていたので、被害妄想もあったんじゃないかと思います。
こういう気持ちの時は、たとえ相手に悪気がなくても、どうしたってネガティヴに取ってしまうと思います。
たしかビートルズもポリスも、解散前に「自分以外のメンバーが仲良くて自分だけが仲間外れにされている気がした」と言ってた気がします。感性が強いアーティストはメンタル面でもとても繊細。心の小さな揺れ動きに左右されることが多いのではと思います。
そして『BGM』を録り始めるわけですが、細野さんや幸宏さんのやり方に賛成できない部分があり、話し合うと大げんかになってしまうから、それを避けるためにあえて顔を合わさない方法を選んだ。そしてその鬱屈した気持ちが「音楽の計画」や「HAPPY END」などの過激さにつながっていったそうです。
そんなやり方でよくレコーディングできたと感心するけど、できちゃうところがYMOなんですよね。
私はこの「ストレスを遮断する」方法、理解できるんです。
話し合っても相手に歩み寄りが見られないと判断した場合、ストレスを抱えたまま付き合っていくのは忍びがたい。自分で感情をコントロールできない場合、これ以上ネガティヴにならないようにするには、原因となるものが目に入らない方法をとることが一番なんです。
教授もきっと自分に正直な人なんだと思います。
YMOを繋ぎ止めるために奔走したであろう当時のスタッフ、そして“レノン&マッカートニー”のごとき“教授と細野さん”の間を取り持つ役になった幸宏さんの苦労が忍ばれます。みんな、頑張ったね(笑)。偉いね!
そんなこともあったのに、四半世紀経ってやっと「あのときの自分は生意気だった」と素直に認められるようになった教授、それを笑って受け入れる2人。いや〜、やっぱ25年はかかるよね。わだかまりを解かすには、時間がかかるものなのです。
高野寛くんのデビュー曲『SEE YOU AGAIN』で「レールのように離れてゆく」という歌詞があるけれど、きっとそういうものなんじゃないかな。並んで走っていたレールが離れていくこともあるし、いつかまた戻って来ることもある。それがいつになるかは分からないけど、そのチャンスはあると信じていたい。