2016/06/25

もろもろ、終了。

あれやこれやバタバタしていた一連のことがすべて終了し
久しぶりに何も心配ごとのない週末を迎えた。

「どうしても受かりたい面接」は
北海道の生まれ故郷で町を元気にするという仕事だった。
住み慣れた東京を離れて北海道に移住する決意をし
そのために自動車教習所に通い
高齢の母を説得して一緒に来てくれることになり
たくさんの人にアドバイスをもらい
満を持して人生をかけて臨んだ「初夏の陣」だったが
たった3行の素っ気ない文章の不採用通知で終焉を迎えた。

自分にできることはたくさんあると思ったのだが
雇う側のニーズにマッチしていなかったのだろう。
とても残念だけど、仕方ない。
こんだけ頑張ってもダメだったんだから
受かった人はきっともっとすごい人たちなのだろう。

面接の前に町を見て歩いた時
私が思っていた以上に町に元気がない現状を目にし
そこに住む人の話を聞いた結果
私が当初考えていた計画の練り直しを
直前に行わなくてはいけなくなった。
その迷いが面接の時に出てしまい
思うように自分らしさが出せなかったのも原因だと思う。

さぞやがっかりしていると思うかもしれないが
実は正直、ホッとした。
雇う側の方向性がよく見えず
その中で自分がどのようなスタンスで働けばよいのかが
全くわからなかったのだ。
先方も初めてのプロジェクトなので
手探りの部分はあるだろうが
それを差し引いたとしても
プロジェクトの大事な資料が知らない間に更新されていたり
面接の時間帯が東京からその日にたどり着けなかったり
面接時間がたったの20分しかなく
椅子しかないので資料も広げられず
こちらからの質問のチャンスは一切なく
いろんなことにモヤモヤさせられてていた。
町の将来に関わる大事なプロジェクトに
それぞれの人生をかけて応募してきた人たちに対して
あまりにも雑でハートが感じられない対応に
「町の姿」を見た気がしたのだ。
採用になったとしてもこの組織で働くのは大変だし
疲弊した町を元気にするのは想像以上に過酷だと感じていた。

ホッとしたのは私だけでなく
母は高齢での引越しに気が重かったらしいし
妹は実家に気軽に遊びに行けなくなるのが寂しかったようだ。
北海道に移り住み、のちに生まれ故郷の東京に戻った亡父や
東京と北海道を行ったり来たりして安住の地を求めていた亡弟なら
きっと今の私を応援してくれるに違いない!と思ったが
こういう結果になったのは、私が行くべきところはそこではなく
他にあるんだと教えてくれたのではないだろうか。
北海道移住は応援してくれなかったけれど
車が大好きだった弟は免許取得を応援してくれたのだと思う。

昨日、免許証の交付待ちの時間に、隣にある多磨霊園に行った。
以前、父と弟の密葬の時にここの火葬場に来た。
個体が気体になった場所。
今日もだれかが気体になって空に帰ってゆく。
空に昇った気体は雲になり、雨となって落ち
雨水が命をもたらし
世の中は巡り巡っているのだなあ。

また次の巡り合わせのために頑張ろう。
できるだけ、丁寧に生きていこう。


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