下北といっても下北沢じゃありません。
下北半島です。
7月4日、父の葬儀と納骨のため青森へ。
「はやて」という、名前の通り速い新幹線ができ、大宮の次は仙台って!すごいなあ。
八戸で快速に乗り換え、本州最北端の大湊駅へ。
そこからさらにタクシーで30分ほどで菩提寺のある町へ到着。
母、私、妹、甥と姪も来てくれたおかげで、湿っぽくない旅となった。
たまたま秋田に出張だった妹の旦那さんも合流。
弟は考える所があるらしく、一人で車を飛ばして来ることになった。
正確には父のお骨と一緒なので、親子二人水入らずの旅になる。
泊まった温泉宿は地元の人たちでにぎわう公衆浴場の雰囲気で、アットホームな感じ。
宿泊客は我が家だけ(笑)。
まわりに何もないので夜が長い。
7月5日、葬儀の日。
弟が無事到着し、一安心。
菩提寺に向かうと、ほどなくして母の姉の家族、私にとっての伯父さんといとこたちが駆け付けてくれた。
親族だけのおごそかな葬儀。
以前このお寺に来たのは、他のお墓に入っていた曾祖母のお骨を移した時。
その時は映画にしたいくらいかなりの珍道中だったのだけれど
お経をあげている際、隣に座っていた父が号泣していたことを思い出す。
父が泣いたところを見たのは後にも先にもあれっきりだったと思う。
浄土真宗では位牌も戒名もなく、過去帳に法名がつけられる。
儀式では泣けない私だけど
仏前に置かれた過去帳に父の名前を見た時には、どうにもこうにも涙が出てしまった。
葬儀のあとは納骨。
荼毘に伏した日もそうだったけど、とても明るい青空。
父は晴れ男だったのかもしれない。
そういえば大湊からのタクシーで、霞がかかるむつ湾の上に
大きな虹が見えたっけ。
手でお骨をつかんでお墓の中へ。
この時まで状況をよく分かっていなかった甥っ子と姪っ子は
やっと「おじいちゃんは骨になってしまった」という事実を把握したらしく
小さな瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。
伯父といとこの車で一路浅虫へ。
子供の頃、毎年のように遊びに来ていたおうち。懐かしいなあ。
出迎えてくれたのは、久しぶりに会う伯母。
いろんな病気をしてきた伯母はかなり痩せて、とても小さく見えた。
それにしても、離れていた時間を感じさせない「血族」ってすごいな。
久しぶりだというのに、そんな気がしない。
親戚付き合いなんてメンドクセー!と思っていたけれど
伯父一家はみんながみんな明るくて
ああ、私、なんかこの人たち好き、と思ったのだった。
母も次の世代の橋渡しをしなくてはと思ったらしく
父の死を期に、こうして引き会わせてくれたことに感謝。
そして、こんな素晴らしい親戚に長らく会っていなかった自分を反省。
旅館の部屋の窓からは、海を望む風光明美な景色が広がっていた。
ああ、なんだかここに毎年来なくちゃいけない!
そんな気持ちになった。
母と一緒にお風呂に入ったこと、
母に私の正直な気持ちをぶつけたこと、
弟といろいろ話したこと…
はからずも父の死によって家族の結束が固まった。
父は喜んでくれているだろうか。
※読者の皆様へ
お悔やみのメッセージ、ありがとうございます。
お一人ずつ返信できませんが、皆様からの温かいお気遣いに心から感謝します。
2008/07/08
2008/07/03
ご報告
肝臓癌を患っていた父が、6月30日の朝に他界しました。
とても安らかな最期でした。
若い頃に結核の手術を受け、その時の輸血によりC型肝炎に感染しました。
それが判明したのが2年ほど前。
しかし父は手術をせず自宅で過ごすことを決めました。
C型肝炎から肝臓癌に転化したのが1年前でした。
癌患者とは思えぬほど元気にしていましたが
4月頃から徐々に弱り始め、5月にベッド生活が始まり
その後在宅ホスピスの助けを受けて痛みを取り除く処置をしてきました。
6月中旬ぐらいまではお客さまを呼んでお話できるほどだったのに
みるみる体調が悪くなり、ついに昏睡状態に陥りました。
腎不全も併発しており、尿が排出されなくなって
最後は尿毒症(脳に毒が回る病気)になり
意識不明の末に亡くなることを聞かされていたので
父も、私たちも、覚悟はできていました。
6月30日の朝、一晩中寝ずに看ていた弟が
呼吸の様子が変わったとのことで呼びに来て
母と3人で見守っていたら
呼吸の間隔が長く、浅くなり、徐々に鎮まって、命が燃え尽きました。
家族が集まってる時に亡くなるっていうの、本当なんですね。
8時20分。私がちょうど最後の父と長く過ごした時間でした。
父のスープや自分のお弁当を作りながら背中で聞いていたのは
朝ドラのテーマソング。
清々しく美しい曲で、耳に残っていました。
「きっと、父が死んだらこの曲が思い出の曲になるんだろうな」
なんてぼんやりと思いながら、会社に行っても頭の中で流れていました。
ドラマの父役が病気で入院するというあたりから
「暗いから面白くない」と言って見なくなってしまったけれど
きっと、自分の姿と重ねてつらくなっていたのでしょう。
妻と子供たちに看取られて、幸せな最期だったと思います。
母が父と結核療養所で初めて会った時に着ていた着物を着せて
文豪っぽい姿になりました。
それをとってあった母がいじらしいと思いました。
2日、出棺の直前に父の文学仲間たちが弔問に訪れました。
こんなおじいさんの友人はどんなおじいさんなんだろう?と思ったら
若くて聡明な青年たちだったので驚きました。
父の考え方には若さがあるので、年齢を感じさせないのだとか。
誰も訪ねて来ない寂しい老後だとばかり思ってたのに
こんなにリスペクトしてくれる若者たちと友達だったなんて!
しかもそのうちの1人は今日が初対面。
初対面が遺体って、かなりのインパクトです。
最後に、大好きな人たちに来てもらえて父もうれしかったと思います。
その後、荼毘に伏してきました。
セレモニー的なものでは全く泣けない私ですが
帰りの車で、ひざの上に乗せたお骨の熱さが伝わって来て、悲しくなりました。
生きている時には父の体の温もりなんて感じたことないのに…。
4日からは青森の菩提寺に葬儀と納骨に行きます。
菩提寺さんから、近くに温泉があるという話を聞き
いいじゃん?って話になってすぐ予約。
翌日はやはりガン宣告を受けている母の姉、伯母さんに会いにいく予定。
伯母のいる所も温泉地なので、昔から泊まってみたかった!と話したら
いいじゃん?って話になってすぐ予約(笑)。
何しに行くんだか。葬儀に行くついでに温泉三昧!
そんなわけで、悲しいけど、暗くはない我が家です。
きっと父も望んでいると思います。
でも、やっぱり、泣けてきます。
とても安らかな最期でした。
若い頃に結核の手術を受け、その時の輸血によりC型肝炎に感染しました。
それが判明したのが2年ほど前。
しかし父は手術をせず自宅で過ごすことを決めました。
C型肝炎から肝臓癌に転化したのが1年前でした。
癌患者とは思えぬほど元気にしていましたが
4月頃から徐々に弱り始め、5月にベッド生活が始まり
その後在宅ホスピスの助けを受けて痛みを取り除く処置をしてきました。
6月中旬ぐらいまではお客さまを呼んでお話できるほどだったのに
みるみる体調が悪くなり、ついに昏睡状態に陥りました。
腎不全も併発しており、尿が排出されなくなって
最後は尿毒症(脳に毒が回る病気)になり
意識不明の末に亡くなることを聞かされていたので
父も、私たちも、覚悟はできていました。
6月30日の朝、一晩中寝ずに看ていた弟が
呼吸の様子が変わったとのことで呼びに来て
母と3人で見守っていたら
呼吸の間隔が長く、浅くなり、徐々に鎮まって、命が燃え尽きました。
家族が集まってる時に亡くなるっていうの、本当なんですね。
8時20分。私がちょうど最後の父と長く過ごした時間でした。
父のスープや自分のお弁当を作りながら背中で聞いていたのは
朝ドラのテーマソング。
清々しく美しい曲で、耳に残っていました。
「きっと、父が死んだらこの曲が思い出の曲になるんだろうな」
なんてぼんやりと思いながら、会社に行っても頭の中で流れていました。
ドラマの父役が病気で入院するというあたりから
「暗いから面白くない」と言って見なくなってしまったけれど
きっと、自分の姿と重ねてつらくなっていたのでしょう。
妻と子供たちに看取られて、幸せな最期だったと思います。
母が父と結核療養所で初めて会った時に着ていた着物を着せて
文豪っぽい姿になりました。
それをとってあった母がいじらしいと思いました。
2日、出棺の直前に父の文学仲間たちが弔問に訪れました。
こんなおじいさんの友人はどんなおじいさんなんだろう?と思ったら
若くて聡明な青年たちだったので驚きました。
父の考え方には若さがあるので、年齢を感じさせないのだとか。
誰も訪ねて来ない寂しい老後だとばかり思ってたのに
こんなにリスペクトしてくれる若者たちと友達だったなんて!
しかもそのうちの1人は今日が初対面。
初対面が遺体って、かなりのインパクトです。
最後に、大好きな人たちに来てもらえて父もうれしかったと思います。
その後、荼毘に伏してきました。
セレモニー的なものでは全く泣けない私ですが
帰りの車で、ひざの上に乗せたお骨の熱さが伝わって来て、悲しくなりました。
生きている時には父の体の温もりなんて感じたことないのに…。
4日からは青森の菩提寺に葬儀と納骨に行きます。
菩提寺さんから、近くに温泉があるという話を聞き
いいじゃん?って話になってすぐ予約。
翌日はやはりガン宣告を受けている母の姉、伯母さんに会いにいく予定。
伯母のいる所も温泉地なので、昔から泊まってみたかった!と話したら
いいじゃん?って話になってすぐ予約(笑)。
何しに行くんだか。葬儀に行くついでに温泉三昧!
そんなわけで、悲しいけど、暗くはない我が家です。
きっと父も望んでいると思います。
でも、やっぱり、泣けてきます。
2008/06/26
2008/06/25
2008/06/22
カッコイイ年齢の答え方
2000年に生まれた甥っ子。
「幾つになった?」との問いに
「ぼくね、地球に来て8年になったよ」
地球に来て!
いいね、その言い回し!
私も使ってみたいけど、この言い方はひと桁の人じゃないと似合わない気がする。
数が多い人は、やっぱり「10万00歳」のほうが合ってるかな(笑)。
しかし、どうしてそんなことを思いつくのだ君は。
「幾つになった?」との問いに
「ぼくね、地球に来て8年になったよ」
地球に来て!
いいね、その言い回し!
私も使ってみたいけど、この言い方はひと桁の人じゃないと似合わない気がする。
数が多い人は、やっぱり「10万00歳」のほうが合ってるかな(笑)。
しかし、どうしてそんなことを思いつくのだ君は。
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